駅長のブログ

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生活するためになんでもやった中学時代

年老いた父親は鶏の世話、母親は買い出し屋
(買い出しできない人の代わりに買いに行き、分け前をもらう代行。
配給はあてにならず、買い出しは生きるために必要でした)
そんな状態では暮らしていけません。
中学校に入学しても、生活する男手は自分しかおらず、
学校なんか行ってられない状態でした。
内藤さん1

母親は勉強しろって尻を叩きましたが、私は学校より親の手足になって助けたい。
出来たばかりの中学には中目黒・鷹番・烏森・五本木・油面から、
沢山の生徒が入学しました。疎開で苛めぬかれたから、気が重い。
知らないやつばかりの学校なんて…楽しくないに決まってる。
本当は行きたくない・・・のが本音でした。

看板屋のアルバイト
poi.jpg2010041223310000_jpg_200px.png
印刷した布を脚が付いた木枠に貼り付けた「捨て看板」というのがあります。
ハリガネとペンチで電柱に巻きつけるんです。
最近は見る事が少なくなった木枠付の捨て看板ですが、当時は木枠が売れたんです。
早朝、登校前に中目黒・恵比寿を回って「捨て看板」を持って帰る。
その足で登校しました。給食を食べられるからです。
米軍のララ物資で給食が開始されましたが、
脱脂粉乳とかコッペパン程度で給食らしいものではなかったですね。

朝早いから、午後は眠くて授業中に居眠りして先生に怒られる・・・友達に笑われる。
そんな毎日でした。
下校すると、中山や鴨居に米・野菜を買いに行く。
たまに、警察の「ヤミ米の取り締まり」がありましたが、
子供だと見て見ぬふりをしてくれるような情がありましたね。
s08_03_13.jpg

夕方、日の暮れるまで、看板の布をはがして木枠だけにする。
それを親方に届ける。木枠を売ったお金を母に渡す。これが日課でした。

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| | 2013/12/10 03:04 | |















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